気づかずに差別していませんか!?|差別と区別の違いを説明します!
ダンゴ!ダンゴ!タロダンゴ🍡
こんにちは、タロダンゴです🍡
今回は。少し重ための内容です。
世の中にはいまだに差別をする人がいます。
人種差別や男女差別など様々だと思います。
そんな中こんな疑問が湧いてきました。
「差別」と「区別」の違いってなんだろ、、と私自身も考えることがあったので、今回は、その差別と区別どちらなのという境界線を記事にしていこうと思います。
※個人的な考えであるため、こんな考えもあるんだなと思って見ていただければ幸いです。
では、書いていきます。
目次
差別と区別について?
◯差別
1、あるものと別のあるものとの間に認められる違い。
また、それに従って区別すること。
2、取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。
◯区別
あるものと他のあるものとが違っていると判断して分けること。
また、その違い。
※引用 国語辞典
少し漠然としていてわかりづらいですよね。。
基本的に上記に共通して言えることは、どちらも違いを認める部分ですね。
しかし、ここで注目すべき重要なところは差別の2番目の不当ですね!!!
簡単にまとめると、
・「区別」 = 「区別」
・「不当な区別」 = 「差別」
ということが読み取れますね!
この「不当」が差別の問題の本質だと思います。
「不当」とは?
1、よく聞く意見
◯「差別」は比較することで、優劣や上下関係をつけて分けること
◯「区別」は対等な関係を保ちながら違いを認めること
上記の意見は確かに納得がいく気がします。
しかし、優劣をつけたり、上下関係をつけることは「不当」な扱いだろうか?
一つ例を挙げてみる。
よく運動会でリレーの競技があり、みなさん1位を目指して走ったと思います。
その際、どのように順位がつけられたでしょうか?
きっと足の早い順で順位がつけられたと思います。
ここで、気づいた方もいると思います。
上記に書いた内容を当てはめると、運動会の足の早い順で順位を決めることは優劣に基づいて判断しているため、差別になるんではないかと。
2、もう一つの意見を書きます。
◯「差別」は非合理的な差の認識
◯「区別」は合理的な差の認識
こっちの方がしっくりくる方も多いのではないでしょうか?
先ほどの例を出して書くと、足の速さで順位をつけるのは「合理的な差の認識」と考えられます。
だから、運動会で順位をつけるのは差別ではない。
つまり、「不当」とは「非合理的」という意味の表れです。
「非合理的」とは?
非合理的とはそもそもどういう意味なのという方もいると思います。
・非合理的
①倫理や道理に合わないこと。また、そのさま。
②理性や倫理では捉えきれないこと。またそのさま。
※引用 国語辞典
上記のような意味になります。
ここでの「非合理的」とは、「間違った思い込み」に繋がるのではないか。
多くの人は「自分は正しく考えている」と思っているが、実は多くの場合「間違った思い込み」によって正しく考えられていないのです。
間違った思い込みとは?
①本当は「ある」ものを「ない」と思ったり、本当は「できる」ことを「できない」と思ったりすることです。この逆パターンもあります。
② 本当は「関連していない」のに「関連している」と思ったり、本当は「因果関係がない」のに「因果関係がある」と思ったりすることです。この逆パターンもあります。
間違った思い込みは上記の2パターンあります。
そして、ほとんどの人は、自分がそのような間違った思い込みを持っているということを認識できていないのです。
ということは、「差別」の本質的な問題とは、この2パターンも間違った思い込みによるものではないでしょうか。
つまり、ある一つの事実を見て、それとは関係のない別のことをあたかも関連があるかのように結びつけて判断してしまうということが、「差別」につながっているということです。
これが、「不当」であり「非合理」ということです。
差別とは?
ここで改めて振り返りましょう。
「差別」とは、、
1、あるものと別のあるものとの間に認められる違い。
また、それに従って区別すること。
2、取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。
でしたね。
運動会の事例に戻りましょう。
ex)運動会でゴールした順番に順位をつける。
これは「差別」ではありません。
これは、ゴールした順番は実際に起こった現象であり、その順番は「足の速さ」のみを表しているのです。
問題はここからです。
「足の速さ」が「人間としての価値」に関連すると考える人がいるとします。
すると「足の速い人」は偉くて「足の遅い人」は偉くないという考えにつながります。
そして、足の遅い人を「足が遅い」という理由で見下すようになります。
この上記のような考えは間違っています。
理由は、「足の速さ」と「人間としての価値」は関係がないからです。
しかし、小学生ぐらいの子供は、運動能力のようなわかりやすい指標を人間の価値に結びつけてしまいがちです。
運動会などで同時にゴールをさせることを提案した大人は、子供がこのような思い込みを持ちやすいことを理解していたのだと思います。
だから、子供たちが足の遅い子を見下さないように配慮しようとして、このような提案をしたのだろう。
しかし、これでは足の遅い子供は「やっぱり足が遅いことは悪いことなんだ」と考えて「自分には価値がない」と思い込んでしまいます。
ここで、教師のやるべきことは手を繋いで同時にゴールさせることではなく、足の速さで順位をつけるが、それは足が速いか遅いかということであって、他のことは関係ない。
ましてや、人間の価値はこんなものでは決まらないと子供に伝えることです。
自分に対して差別していませんか?
人間には自分では認識できていない多くの間違った思い込みを持っています。
そして、その思い込みから間違った関連付けをして、物事を解釈したり判断しています。
それによって他人を不当に低く取り扱ったり、不利益を与えてしまうことが「差別」です。
しかし、それは他に対してだけでなく、自分に対して行なっているのではないでしょうか。
つまり、間違った思い込みを持っている人は、心の中で自分自身を不当に低く取り扱い、自分の人生にとって不利益になる行動をとっているのです。
自分を差別するのはやめよう。
そのためには、自分の中にある間違った思い込みに気づき、それを手放すことが最良の手段です。
まとめ
今回は差別と区別という内容で記事を書きました。
この問題は昔に比べればよくはなってきましたが、まだまだ根強く残っているのでなくなってはいません。
記事で書いたような考えが広がればもっともっと差別が減るのではないか。
そんな思いも載せ、少しでも減ることを願ってます。
今回は以上です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。